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名古屋高等裁判所 昭和25年(う)1981号 判決

控訴人 被告人 金連峯

弁護人 佐治良三

検察官 柳沢七五三治関与

主文

原判決を破棄する。

本件を半田簡易裁判所に差戻す。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人佐治良三名義の控訴趣意書と題する書面記載の通りである。検察官は本件控訴は理由がないものとしてその棄却の裁判を求めた。

控訴趣意第一点の一、二、三に付いて。

起訴状に所説の如く記載あることは、本件記録上明白である。現行刑事訴訟が起訴状一本主義を採り同法第二百五十六条第六項で特に裁判官に予断防止のための資料添付を禁じている趣旨に鑑み起訴状に犯罪構成要件たる事実以外の事実の記載が裁判官に予断を生ぜしめる程度のものなら許されないものと言うべきであるが、本件起訴状には「些細な事から山田朝司当十五年と口論の上」と記載しあるのみで動機として些細な事から口論の上という此程度の表示は裁判官に予断を生ぜしめる虞ありとは認められないから本件起訴状は適法であつて論旨は採用に値しない。

同趣意第二点の二、三に付いて。

原審第一回公判調書の記載によれば、検察官より証人として山田朝司、磯部りゆうの両名の取調請求をした際原審裁判官は右取調請求に対し被告人の意見のみ求め、その弁護人の意見を求めることなく之を採用したことは所説の通りであるが、原審裁判官が、検察官の証拠調請求に対し証拠決定を為すに際し被告人の意見を聴いた以上尚その上弁護人の意見をも聴く要のないことは刑事訴訟規則第百九十条第二項により明かであるから、右証拠決定は違法でなく論旨は理由がない。

同趣意第二点の一について。

原判決が医師伊藤静作成に係る、山田朝司に対する診断書と他の証拠とを綜合して判示事実を認定したことは所論の通りである。傷害事件の医師の診断書の証拠能力に付いては爭の存するところではあるが、診断書は実質的には鑑定書と異なるところはないから刑事訴訟法第三百二十一條第四項を類推適用し、其の作成者を公判期日に証人として尋問しその真正に作成されたものであることを供述せしめた上でなければ之を証拠とすることは出来ないものと解するを相当とする。原審第一回公判調書の記載によれば、検察官は山田朝司が顔面に全治十日間の傷害を受けた事実の立証として医師伊藤静作成に係る山田朝司に対する診断書の取調を請求をしたのに対し原審裁判官は被告人に対し右書面を証拠とすることに同意するかどうかを尋ねたところ、被告人は弁護人に一任する旨を述べ、弁護人は右書面を証拠とするすることに不同意であると述べたに拘らず、原審裁判官は之を採用し証拠調をしていることは明であるから、右診断書は被告人の同意を得ない以上其の作成者たる医師伊藤静を公判期日に証人として尋問して真正に作成されたものであることを確かめなければ之を証拠に供することが出来ないのであるに拘らず、原審裁判官は慢然之を採用して取調を為し且つ此の証拠を事実認定の資料に供したのは明に訴訟手続上の法令に違反したもの謂ふべく、且原判決挙示の他の証拠のみでは判示の如き傷害の部位程度を認定することは出来ない。結局右法令違反は判決に影響を及ぼすこと明であるから、此の点に於て、原判決は破棄を免れない。此の点に関する論旨は理由があるから爾余の論旨に対する判断を省略し刑事訴訟法第三百九十七条に則つて原判決を破棄し、同法第四百条に則り原裁判所に差戻すべく主文の通り判決する。

(裁判長裁判官 石塚誠一 裁判官 若山資雄 裁判官 佐藤盛隆)

弁護人佐治良三控訴趣意

第一点原判決には不法に公訴を受理した違法がある。

一、起訴状には訴因を明示して公訴事実を記載しなければならず、訴因を明示するには出来る限り日時場所及び方法を以て罪となるべき事実を特定してこれをしなければならないが、それ以上進んで裁判官に事件につき予断を生ぜしめる虞のある書類その他の物を添附し又はその内容を引用してはならないことは刑事訴訟法第二百五十六条によつて明らかである。

二、然る処本件起訴状に於ける公訴事実の記載を点検するに被告人が起訴状記載の日時場所に於て手拳を以て山田朝司の顔面を殴打し因て同人に対し傷害を負わしめたのは「些細な事から」同人と口論した挙句である旨の記載があるが、仮令被告人に暴行の犯意があつたことを認定する為に動機の記載を必要とする場合に於てもそれは被害者と口論した上である旨の記載があれば訴因の明示としては充分であり、右の口論が「些細な事」に基因する旨の記載は斯る抽象的観念的な言辞によつて被告人の犯罪の重いことを暗示する以外の何ものでもなく、正に裁判官に事件につき予断を生ぜしめる虞の大なる記載と謂うべきである。

三、果して然らば本件起訴状は刑事訟訴法第二百五十六条第六項に違反した不適法な公訴に外ならず、従つて原審は同法第三百三十八条第四号に則り当然公訴を棄却すべき筋合であるにも拘ず、此の点を看過して審理を遂げ判決を言渡したのは明かに不法に公訴を受理した違法があるものと謂うべきものである。

第二点原審訴訟手続には判決に影響を及ぼすべきことが明かな法令の違反がある。

一、(一)原判決によれば原審は医師伊藤静作成に係る山田朝司に対する診断書(記録第十二丁)を其の他の証拠と綜合して其の摘示の如き事実を認定して居る。然乍ら右診断書は法律上之を証拠とすることが出来ないものである。即ち右診断書は刑事訴訟法第三百二十一条に所謂被告人以外の者が作成した供述書であり、同条第一項第三号に該当する書面であることは明かであるが、記録全般を仔細に閲覧するも右診断書の供述者につき同法所定の事由が存在して居た事実は全く之を認めることが出来ない。果して然らば右診断書は被告人の同意無き以上之を証拠とすることが出来ないのであるが、原審第一回公判調書(記録第十丁以降)によれば検察官より右診断書及び他の書面に付き証拠調の請求があつたので原審裁判官は右各書面の証拠調について意見を促した結果被告人は之を弁護人に一任し原審弁護人は右各書面は全部(即ち右診断書をも含めて)不同意である旨明に述べて居るのであるから、右診断書は之を証拠とすることが出来ないのである。

(二)仮に百歩を譲り前記診断書に証拠能力ありとするも、右診断書は刑事訴訟法第三百七条に所謂証拠物中書面の意義が証拠となるものであつて、その証拠調の方法は同法第三百七条、第三百六条及び第三百五条により展示及び朗読をしなければならないのに検察官はこれを朗読したのみで展示することなく裁判所に提出したことは、前記第一回公判調書によつて明らかであり、右診断書は適法な証拠調を経た証拠と謂ふを得ず、従つて之に基いて事実を認定することはできない。

二、更に原判決によれば原審は証人山田朝司、同磯部りゆうの各証言を其の他の証拠と綜合して其の摘示の如き事実を認定しているが右各証言は何れも法律上之を証拠とすることができないものである。即ち原審第一回公判調書(記録第十丁)によれば検察官より右二証人につき証拠調の請求があつた処原審裁判官は弁護人の意見を聞くことなく右証拠調の請求を採用し両証人の尋問を行つたことは明かであり、右手続は刑事訴訟法第二百九十七条に違反し従つて右証人尋問の結果を判決に引用することはできない。

尤も原審第一回公判調書には被告人が右証拠調の請求に対し異議なき旨陳述したとの記載があり、且刑事訴訟法第二百九十七条には「被告人又は弁護人の意見を聴き」と定められているが抑々弁護人は法律の專門家として通常法律に通暁して居ない被告人の正当なる利益を擁護する地位にあるものであるから、弁護人が出頭している限りその意見を聴くのが当然であるし、被告人に異議のないと謂うのは特に反対に解すべき事情のない本件に於ては弁護人が異議を述べることまで反対すると云う強い意味を持つたものではなく、自分としては特に意見はなく弁護人に総てを一任するとの趣旨であることは右公判調書に於ける被告人は弁護人に一任してあると述べた旨の記載並びに原審第二囘公判調書(記録第二十九丁以降)に於ける被告人供述調書の証拠調請求及び証人川崎幸一の尋問請求に対し、被告人及び弁護人は異議なしと述べた旨の記載によつても明かである。

三、果して然らば原判決の引用せる証拠は証人川崎幸一の原審公廷に於ける証言を除き其の他は総て法律上証拠とすることが出来ない証拠であつて、右川崎の証言は犯罪事実に付き間接且補強的な意義しか有しないことは原審第三回公判調書(記録第五十一丁以降)に徴するも明かであるから、前記訴訟手続上の各法令違反は判決に影響を及ぼすことが明かであり、従つて原判決は此の点に於ても破棄さるべきものである。

(その他の控訴趣意は省略する。)

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